人生を表現する活動日誌

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僕がダンスを創作するうえで信じていること

ども、テツオです。

 

8月10日、11日は僕が主宰する団体「ZERO.」の第2回公演「怪物」を披露する。

 

昨日からリハーサルが始まり、大阪から出てくださるダンサーさんとも初対面。

ほかのダンサーもほとんどインスタで声をかけたから、初めましての方がほとんど。

 

第1回目の「ワタシ と アナタ の 間(ま)」の時は緊張でリハーサルも不安との戦いだったけれど、今回は割とゆったり落ち着いて取り組むことが出来ている。

 

やはり場数なのだ。と思う。

 

 そして、そうやって場数を踏んでいくことでなんか明確になってきた。

僕がダンスを作っているときに信じていること。

 

それについて書こうと思う。

 

 

関わるダンサーを圧倒的に信じる

僕は圧倒的にダンサーを信じている。

 

なぜ信じれるかというと、素晴らしいダンサーに出会っていると信じているから。

 

人の巡り合いっていうのは、偶然ではなく必然だと僕は思っている。

 

必然の出会いの中で、僕の周りには素晴らしいダンサーがいるのだから、あとは全力で良い作品を作るだけだ!

としか考えていないので、不安を吐露する子たちに対しても「大丈夫だよ」って言える。

十分頑張っていると思っているので。

 

そうすると、勝手に頑張ってくれているのだ。

こちらがお願いしたり、説教しなくても自然と挑もうとしてくれている。

だから、変にお節介にならず僕はただ信じている。

 

偶発性を信じる

僕はその場で突然起こる偶発性を信じている。

 

作るものにもよるのだが、例えば今リハーサルを進めている「怪物」。

先日のリハーサルはほぼノープランで挑んだ。

 

ダンスのクリエイションで僕は自分のイメージだけではなく、ダンサーのイメージを言語化してもらったり身体で表現してもらいつつ、僕のイメージを擦り合わせていくコミュニケーションを基礎としている。

 

だから、実際に現場で会話をしたり動きつつ、パッと面白い動きやなんとなく動いたものを重ねていく。

そうすると思ってもいない形で動きが出来てくる。

 

だから、僕は全てをガッチリ決めた作品づくりではなく、余白を意識しそこに生まれる偶然にワクワクするのだ。

 

ダンスはコミュニケーションの延長線上にあると信じている

僕がダンスを創作する時にやっているのは、ダンサーとコミュニケーションをとること。

僕はダンスとは日常に近い非日常だと思っている。

 

例えば台本に「分かりません」という言葉があったとすると、ダンサーに「分からない時ってどんな身振りをする?」と聞くと、その子のイメージが共有される。

 

そこに自分だったらどうするか...というイメージを擦り合わせて、合体させていくと自分の頭の中だけでは生まれなかったであろう動きがそこに現れたりするのだ。

 

そうやってコミュニケーションの連続がダンスという連続性のある動きへと変わっていく、ということを信じているので僕はリハーサルに行く時何も用意はせず、その場で生まれる何かを楽しみにしながら臨んでいる。

 

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残り約2ヶ月ほどのリハーサルでどこまでの作品を創れるか...

自分は精一杯やれることをやり、ダンサーや今回関わってくれているみんなが、この舞台に関われてよかった。

と思ってもらえるように頑張ります。

 

では

 

僕への連絡はこちら!

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